たかのエンタメまとめ速報

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    2019年05月



    (出典 images-na.ssl-images-amazon.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/05/02(木) 00:56:53.54 ID:SFfSleUe9.net

    テレビ業界や芸能界で、タレントの忙しさ、売れっ子ぶりを例えるとき、今も使われるのが「ピンク・レディー並みの忙しさ」というフレーズだ。

    76年に『ペッパー警部』でデビューしたピンク・レディー。中学、高校時代の同級生だったミー(現・未唯mie、本名・根本美鶴代)とケイ(現・増田恵子、本名・桑木啓子)の2人は、
    『スター誕生!』をきっかけに、一気にスターダムへと駆け上がっていった。
    あまりの人気ぶりから、連日2?3時間の睡眠時間で働き通しだったことは有名で、その尋常ならざる過密スケジュールに、
    “ピンク・レディーはシャブを打たれているから眠くならない”という噂まで飛び出したほどだった。

    81年に雨の後楽園球場で解散コンサートを開くまでの約5年間を、ピンク・レディーはまさに文字どおり駆け抜けていったわけだ。
    その間に稼ぎ出した金は、200億円とも500億円ともいわれている。現在の価値に換算すると1000億円を超えることは間違いない。
    しかし、それだけ稼ぎながら、2人にはわずかな報酬しか与えられていなかったという。

    最初の一年は、ずっと月給30万円。その薄給ぶりが報じられるようになり、事務所はようやく300万円に月給をアップさせたというが、それでも2人が稼ぎ出す金額から考えると、100分の1程度。
    引退後に残されたのは3000万円ほどのマンションだけで、ピンク・レディーはあれだけの大ブームを巻き起こしながら、まったくといっていいほど金の恩恵を受けていなかったのだ。

    そればかりか、ピンク・レディーの所属事務所であった「T&Cミュージック」は、解散コンサートから半年後、わずか1200万円の手形を落とせず、不渡りを出して倒産しているのである。

    ピンク・レディーが稼いだ金はどこへ消えたのか──。

    ●裏社会に流れて行った巨額のカネ

    「T&Cは貫泰夫氏が会長を務めていましたが、実はとある広域暴力団をバックにした大物総会屋のOという人物が全額出資した、Oの完全子会社でした。
    中学時代の同級生だった関係から、元証券マンの貫氏は、Oの株を一手に引き受け運用を任されていたんです。

    そんな縁から、貫氏がピンク・レディーを売り出すために芸能プロを立ち上げた際に、Oが資金の面倒を見るようになったという経緯がある。
    結局、このOを通じて、ピンク・レディーが稼いだ金は、そのほとんどが裏社会へと流出していったといわれているんですよ」(当時を知る音楽関係者)

    その手口の多くは地方興行を利用したものだったという。

    当時、ピンク・レディーの興行には1000万円近くの値がついていたというが、これをOの息のかかった代理店を通じて、T&Cに発注がいくようにしていたという。
    その取り分は、代理店が7割、T&Cが3割程度。テレビ出演も同様で、本来、ギャラ100万円のはずが、T&Cの取り分はわずか5万円程度だったという話もある。

    これでは、T&Cに金が残るはずはない。もちろん、20歳そこそこのミーとケイの2人に、こうした裏社会の海千山千に対抗する手立ても、知恵もあるはずはなかったのだ。

    2人が本当に大金を得たのは、02年。パ*「CRピンク・レディー」が10万台の大ヒットとなり、それぞれ1億円ほどのロイヤリティを手にしたという。
    その後、再結成して復活コンサートで全国を回ると、かつてのファンの中高年でどこも盛況となった。

    苦い思いもたくさんしただろうが、2人はピンク・レディーという大きな財産に感謝したことだろう。81年の解散から、20年以上が経っていた。

    http://dailynewsonline.jp/article/1804225/
    2019.05.01 21:30 週刊実話


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    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/05/03(金) 01:55:32.85 ID:hZr5ruuT9.net

    令和がスタートした今、アジアは新フェーズを迎えている。
    シンガポールや台湾などでライブ公演を行い、中国のウェイボーでは「国内で最も人気のあるアイドルグループ」として表彰された。
    まさにアジア圏で飛ぶ鳥を落とす勢いの「乃木坂46」メンバー、齋藤飛鳥さん(20)が自身のルーツと、アジアへの思いを語った。

    乃木坂46高山一実に若年層共感 *小説20万部突破の秘密

     ◇  ◇  ◇

    無口で物静かな彼女にオーディションを受けるように勧めたのは、ミャンマー人の母親。
    明るくて面白いことが好きで、活躍を喜んでいるという。

    「自分がハーフだからか、日本とは違う文化に接してそれを吸収したいという思いが強いんです。
    だから、海外に行くことがすごく好き。日本国内だけでなく、グループとしてアジア展開できるのもうれしいですし、新しい発見を楽しみながら取り組んでいます」

    グループの人気は海を越え、アジア各地に広がっている。
    その熱量は空港に到着した直後から感じるといい、「遠くから見てもすぐに分かるように、手作りの団扇を振りながら“応援してるよ”って笑顔で出迎えてくれたりするんです。
    公演をやると決まってからも現地に行くまでは、“乃木坂はあまり知られていないかも。
    喜ばれないかも”などと心配になってしまいがちなのですが、そういう不安を一瞬で吹き飛ばしてくれるパワーをもらっています。
    昨年9月に中国・西安の繁華街でロケをした際も助けられました。
    あっという間に人だかりができてしまったんですが、ファンの人たちが率先して警備をしたり、車を誘導してくれたりしたんですね。
    私たちの想像を越えるようなさまざまな応援に触れ、改めて思うのは、たとえ言葉が通じなくても、パワーをくれる皆さんのために喜んでもらえることをたくさんできたらなってことなんです」。

    ■「初心に帰ろう」

    グループ結成8年目、中学生の時から一緒に過ごしてきたメンバーとの間に“ある変化”があったという。

    「みんな仲はいいんですが、私は楽屋で本を読んで過ごすことも多くて、でも最近はちょっとずつ、メンバーと話す機会を増やしています。
    内容は本当に他愛もないことばかり。それでも気づくと大笑いしているんです。そういう時間がとても心地よくて、幸せだなって思ってます」

    メンバーが写真集を出すとベストセラーを連発させる乃木坂46。
    一気にスターダムを駆け上がったように思えるが、「私自身もそしてグループもまだまだ発展途上の段階。
    中国は日本よりも何歩も先を行ってるなあ~と感じることもあります。
    勢いのあるアジアの空気に触れて痛感するのは、デビューした時の初心に帰ろうということ。まだ韓国には行ったことがないので、韓国の人たちにもグループがかわいいと思ってもらえるようになったら嬉しい。
    もっと頑張って日本を盛り上げていきたいですし、乃木坂46として誰もが口ずさめる曲が欲しいですね」

    「令和」初のリリースとなる23rdシングル「Sing Out!」ではセンターを務める。我が道を突き進む彼女のさらなる飛躍に注目だ。

    (取材・文=白井杏奈/日刊ゲンダイ)

    ▽さいとう・あすか 1998年、東京都出身。
    2011年に乃木坂46の1期生オーディションに合格し、15thシングル「裸足でSummer」で初のセンターを務めて以降、人気メンバーとして活躍。初のソロ写真集「潮騒」(幻冬舎)が20万部突破。

    http://news.livedoor.com/article/detail/16402007/
    2019年5月2日 9時26分 日刊ゲンダイDIGITAL


    (出典 image.news.livedoor.com)


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    (出典 realsound.jp)


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    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/05/05(日) 07:36:13.20 ID:fEOm+sDe9.net

    「葬儀は身内だけでひっそりと行われました。喪主は長男。母親の姿はなく、子供たちはまだ現実を受け入れられない様子で意気消沈していた。
    死に顔が穏やかだったのがせめてもの救いです……」(参列者の1人)

    4月6日、千葉県浦安市の斎場で、徳永数馬さんの葬儀が行われた。享年57。死因は多臓器不全だという。


    (出典 image.news.livedoor.com)


    智子さんと亡くなった数馬さん(右)

    葬儀を取り仕切った三男一女の子供たち。その母親は、かつてバラエティ番組「進め!電波少年」(日本テレビ系)の企画で、“電波子”として活躍していた智子さん(仮名・42)だ。

    智子さんは昨年2月、当時21歳だった都内有名私大の学生、A君と駆け落ち。不貞に気付いた数馬さんが問い質そうとした矢先、家を飛び出したという。

    数馬さんは都内で歯科医院を営んでいたが、糖尿病を患い、約10年前から両目が見えなくなった。働きに出られず、智子さんの介助は必須。一家の収入は生活保護と障害者手当だった。

    A君と同い年の長男は、母親の失踪直後、週刊文春記者にこう明かしていた。

    「僕たち4人は奨学金で大学に通っているのですが、母はそのお金が入った通帳を持って出て行った。後日、通帳は郵送で戻ってきましたが、約200万円が引き出されていたのです」

    一家はSNSで智子さんの目撃情報を集めようとしたが、確実な情報は得られなかった。そこで数馬さんは智子さんとA君に対し、横領罪などで裁判を起こす準備を始める。

    「智子を被告にはしたくはなかったが……」

    数馬さんは生前、週刊文春の取材に対し実情を語った。

    「智子を被告にはしたくはなかったが、帰って来て欲しい、居場所が知りたい一心で準備している。
    相手の実家に要求書を送ったら、相手も弁護士を立て、書面をよこしてきた。

    そのなかには、あたかも僕が彼女に暴力を振るったことが失踪の原因かのように書かれていました。
    体調が悪い時に強く当たったことはあったが、暴力をふるったことはない。どうしてそんなことが言えるのか、強い憤りを感じます」

    子供たちも数馬さんが母親に暴力をふるったところを見たことはない、と証言している。

    数馬さんの旧知の友人が明*。

    「家族一丸となって、智子さんを連れ戻そうと必死でした。それもこれも数馬さんがいたからこそ。
    裁判は数馬さん主体で準備していた。残された子供たちは生活していくのに精一杯で、裁判まで手がまわらないのではないでしょうか」

    子供の1人は、肩を落としてこう語る。

    「裁判のことは、これから僕達で相談して決めていこうと思っていますが、今はみんな混乱していて……。
    皆、朝から晩まで仕事やバイトに追われる日々。仏壇も作れていない状況なんです」

    数馬さんの訃報は相手の弁護士を通じて智子さんに伝わっている。しかし依然、智子さんは戻らぬまま。A君の所在も掴めていない。

    “母帰る”日は未だ遠い。

    (「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年5月2・9日号)

    http://news.livedoor.com/article/detail/16413065/
    2019年5月5日 6時0分 文春オンライン


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